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光日房御書
建治2年(ʼ76)3月 55歳 光日尼
去ぬる文永八年太歳辛未九月のころより御勘気をかぼりて北国の海中、佐渡の島にはなたれたりしかば、なにとなく、相州鎌倉に住みしには、生国なれば安房国はこいしかりしかども、我が国ながらも人の心もいかにとやむつびにくくありしかば、常にはかようこともなくしてすぎしに、御勘気の身となりて死罪となるべかりしが、しばらく国の外にはなたれし上は、おぼろけならではかまくらへはかえるべからず。かえらずば、また父母のはかをみる身となりがたしとおもいつづけしかば、いまさらとびたつばかりくやしくて、「などか、かかる身とならざりし時、日にも月にも、海もわたり山をもこえて、父母のはかをもみ、師匠のありようをもといおとずれざりけん」となげかしくて、彼の蘇武が胡国に入って十九年、かりの南へとびけるをうらやみ、仲丸が日本国の朝使としてもろこしにわたりてありしが、かえされずしてとしを経しかば、月の東に出でたるをみて、「我が国、みかさの山にもこの月は出でさせ給いて、故里の人も只今、月に向かってながむらん」と心をすましてけり。
これもかくおもいやりし時、我が国よりある人のびんにつけて衣をたびたりし時、彼の蘇武がかりのあし、これは現に衣あり、にるべくもなく、心なぐさみて候いしに、日蓮はさせる失あるべしとは
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(108)光日房御書 | 建治2年(’76)3月 | 55歳 | 光日尼 |