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いうことは内外のおきてなり。させる面目もなくして本国へいたりなば、不孝の者にてやあらんずらん。これほどのかたかりしことだにもやぶれてかまくらへかえり入る身なれば、またにしきをきるへんもやあらんずらん、その時、父母のはかをもみよかしとふかくおもうゆえに、いまに生国へはいたらねども、さすがこいしくて、吹く風、立つくもまでも、東のかたと申せば、庵をいでて身にふれ、庭に立ってみるなり。
かかることなれば、故郷の人は、たとい心よせにおもわぬものなれども、我が国の人といえばなつかしくてはんべるところに、この御ふみを給びて、心もあらずしていそぎいそぎひらきてみ候えば、「おととしの六月の八日に、いや四郎におくれて」とかかれたり。御ふみも、ひろげざりつるまではうれしくてありつるが、今このことばをよみてこそ、なにしにかいそぎひらきけん、うらしまが子のはこなれや。あけてくやしきものかな。
我が国のことは、うくつらくあたりし人のすえまでも、おろかならずおもうに、ことさらこの人は形も常の人にはすぎてみえし上、うちおもいたるけしきかたくなにもなしとみしかども、おりしも法華経のみざなれば、しらぬ人々あまたありしかば、言もかけずありしに、経はてさせ給いて、皆人も立ちかえる、この人も立ちかえりしが、使いを入れて申せしは、「安房国のあまつと申すところの者にて候が、おさなくより御心ざしおもいまいらせて候上、母にて候人もおろかならず申し、なれなれしき申し事にて候えども、ひそかに申すべきことの候。さきざきまいりて、次第になれまいらせてこそ申し入るべきに候えども、ゆみやとる人にみやづかいてひま候わぬ上、事きゅうになり候いぬ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(108)光日房御書 | 建治2年(’76)3月 | 55歳 | 光日尼 |