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くらにも御所・若宮・建長寺・極楽寺等につよくふけり。ただ事ともみえず。ひとえに、このいのりのゆえにやとおぼえて、わらい口すくめせし人々もきょうさめてありし上、我が弟子どもも「あら不思議や」と舌をふるう。
本よりごせしことなれば、「三度国をいさめんに、もちいずば国をさるべし」と。されば、同五月十二日にかまくらをいでてこの山に入る。同十月に大蒙古国よせて、壱岐・対馬の二箇国を打ち取らるるのみならず、大宰府もやぶられて、少弐入道・大友等、ききにげににげ、その外の兵者ども、そのことともなく大体打たれぬ。また今度よせくるならば、いかにもこの国よわよわと見ゆるなり。
仁王経には「聖人去らん時は、七難必ず起こらん」等云々。最勝王経に云わく「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に乃至他方の怨賊来って、国人喪乱に遭わん」等云々。仏説まことならば、この国に一定悪人のあるを国主たっとませ給いて、善人をあだませ給うにや。大集経に云わく「日月も明を現ぜず、四方皆亢旱す。かくのごとき不善業の悪王・悪比丘、我が正法を毀壊す」云々。仁王経に云わく「諸の悪比丘は、多く名利を求め、国王・太子・王子の前において、自ら破仏法の因縁、破国の因縁を説かん。その王別えずしてこの語を信聴せん。これを破仏法・破国の因縁となす」等云々。法華経に云わく「濁世の悪比丘」等云々。経文まことならば、この国に一定悪比丘のあるなり。夫れ、宝山には曲林をきる。大海には死骸をとどめず。仏法の大海、一乗の宝山には、五逆の瓦礫、四重の濁水をば入るれども、誹謗の死骸と一闡提の曲林をばおさめざるなり。されば、仏法を習わん人、後世をねがわん人は、法華誹謗をおそるべし。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(107)種々御振舞御書 | 建治2年(’76) | 55歳 | (光日尼) |