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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

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種々御振舞御書

 建治2年(ʼ76) 55歳 (光日尼)

 去ぬる文永五年後正月十八日、西戎・大蒙古国より日本国をおそうべきよし、牒状をわたす。日蓮が去ぬる文応元年太歳庚申に勘えたりし立正安国論、今すこしもたがわず符合しぬ。この書は白楽天が楽府にも越え、仏の未来記にもおとらず。末代の不思議、なに事かこれにすぎん。賢王・聖主の御世ならば、日本第一の勧賞にもおこなわれ、現身に大師号もあるべし。定めて御たずねありて、いくさの僉義をもいいあわせ、調伏なんども申しつけられぬらんとおもいしに、その義なかりしかば、その年の末十月に十一通の状をかきて、かたがたへおどろかし申す。
 国に賢人なんどもあるならば、「不思議なることかな。これはひとえにただ事にはあらず。天照太神・正八幡宮のこの僧について、日本国のたすかるべきことを御計らいのあるか」とおもわるべきに、さはなくて、あるいは使いを悪口し、あるいはあざむき、あるいはとりも入れず、あるいは返事もなし。あるいは返事をなせども上へも申さず。これひとえにただ事にはあらず。たとい日蓮が身のことなりとも、国主となり、まつりごとをなさん人々は、取りつぎ申したらんには政道の法ぞかし。いおうや、このことは上の御大事いできたらんのみならず、各々の身にあたりて、おおいなるなげき出来