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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

密教なんどをもそしるゆえに、かかる法のしるしめでたし」とののしりしかば、日蓮が弟子等、きょうさめて「これは御あら義」と申せしほどに、日蓮が申すようは「しばしまて。弘法大師の悪義まことにて、国の御いのりとなるべくば、隠岐法皇こそいくさにかち給わめ。おむろ最愛の児・せいたかも頸をきられざるらん。弘法の法華経を華厳経におとれりとかける状は、十住心論と申す文にあり。寿量品の釈迦仏をば凡夫なりとしるされたる文は、秘蔵宝鑰に候。天台大師をぬす人とかける状は、二教論にあり。一乗法華経をとける仏をば真言師のはきものとりにも及ばずとかける状は、正覚房が舎利講の式にあり。かかる僻事を申す人の弟子・阿弥陀堂法印が日蓮にかつならば、竜王は法華経のかたきなり。梵釈・四王にせめられなん。子細ぞあらんずらん」と申せば、弟子どものいわく「いかなる子細のあるべきぞ」とおこづきしほどに、日蓮云わく「善無畏も不空も、雨のいのりに雨はふりたりしかども、大風吹いてありけるとみゆ。弘法は三七日すぎて雨をふらしたり。これらは雨ふらさぬがごとし。三七二十一日にふらぬ雨やあるべき。たといふりたりとも、なんの不思議かあるべき。天台のごとく、千観なんどのごとく、一座なんどこそとうとけれ。これは一定、ようあるべし」といいもあわせず、大風吹き来る。
 大小の舎宅・堂塔・古木・御所等を、あるいは天に吹きのぼせ、あるいは地に吹き入れ、そらには大いなる光り物とび、地には棟梁みだれたり。人々をもふきころし、牛馬おおくたおれぬ。悪風なれども、秋は時なればなおゆるすかたもあり。これは夏四月なり。その上、日本国にはふかず。ただ関東八箇国、八箇国にも武蔵・相模の両国、両国の中には相州につよくふく。相州にもかまくら、かま