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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 念仏者等、僉議して云わく「これ程の阿弥陀仏の御敵、善導和尚・法然上人をのるほどの者が、たまたま御勘気を蒙ってこの島に放されたるを、御赦免あるとて、いけて帰さんは心うきことなり」と云って、ようようの支度ありしかども、いかなることにやありけん、思わざるに順風吹き来って島をばたちしかば、あわいあしければ百日・五十日にもわたらず順風には三日なるところを、須臾の間に渡りぬ。
 越後のこう、信濃の善光寺の念仏者・持斎・真言等は、雲集して僉議す。「島の法師原は、今までいけてかえすは人かったいなり。我らはいかにも生身の阿弥陀仏の御前をばとおすまじ」と僉議せしかども、また越後のこうより兵者どもあまた日蓮にそいて善光寺をとおりしかば、力及ばず。三月十三日に島を立って、同三月二十六日に鎌倉へ打ち入りぬ。
 同四月八日、平左衛門尉に見参しぬ。さきにはにるべくもなく、威儀を和らげてただしくする上、ある入道は念仏をとう、ある俗は真言をとう、ある人は禅をとう、平左衛門尉は爾前得道の有無をとう。一々に経文を引いて申しぬ。
 平左衛門尉は上の御使いのようにて、「大蒙古国は、いつか渡り候べき」と申す。日蓮答えて云わく「今年は一定なり。それにとっては、日蓮已前より勘え申すをば御用いなし。譬えば、病の起こりを知らざる人の病を治せば、いよいよ病は倍増すべし。真言師だにも調伏するならば、いよいよこの国、軍にまくべし。あなかしこ、あなかしこ。真言師、総じて当世の法師等をもって御祈りあるべからず。各々は仏法をしらせ給いておわせばこそ申すともしらせ給わめ。