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なれば、ただ思いやらせ給え、利剣をもってうりをきり、大風の草をなびかすがごとし。仏法のおろかなるのみならず、あるいは自語相違し、あるいは経文をわすれて論と云い、釈をわすれて論と云う。善導が柳より落ち、弘法大師の三鈷を投げたる、大日如来と現じたる等をば、あるいは妄語、あるいは物にくるえるところを一々にせめたるに、あるいは悪口し、あるいは口を閉じ、あるいは色を失い、あるいは「念仏ひが事なりけり」と云うものもあり。あるいは当座に袈裟・平念珠をすてて、念仏申すまじきよし、誓状を立つる者もあり。
皆人立ち帰るほどに、六郎左衛門尉も立ち帰る。一家の者も返る。日蓮、不思議一つ云わんと思って、六郎左衛門尉を大庭よりよび返して云わく「いつか鎌倉へのぼり給うべき」。かれ、答えて云わく「下人どもに農せさせて、七月の比」と云々。日蓮云わく「弓箭とる者は、おおやけの御大事にあいて、所領をも給わり候をこそ。田畠つくるとは申せ、只今いくさのあらんずるに、急ぎうちのぼり高名して所知を給わらぬか。さすがに和殿原はさがみの国には名ある侍ぞかし。田舎にて田つくりいくさにはずれたらんは、恥なるべし」と申せしかば、いかにや思いけめ、あわててものもいわず。念仏者・持斎・在家の者どもも、「なにということぞや」と怪しむ。
さて皆帰りしかば、去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり。頸切らるるならば日蓮が不思議とどめんと思って勘えたり。この文の心は、日蓮によりて日本国の有無はあるべし。譬えば、宅に柱なければたもたず、人に魂なければ死人なり。日蓮は日本の人の魂なり。平左衛門、既に日本の柱をたおしぬ。只今、世乱れて、それともなくゆめのごとくに妄語出来して、この御一門ど
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(107)種々御振舞御書 | 建治2年(’76) | 55歳 | (光日尼) |