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り。いかにごうなりとも、力つよくとも、人なき処なれば、集まっていころせかし」と云うものもありけり。また、「なにとなくとも頸を切らるべかりけるが、守殿の御台所の御懐妊なれば、しばらくきられず。終には一定ときく」。また云わく「六郎左衛門尉殿に申して、きらずんばはからうべし」と云う。多くの義の中に、これについて守護所に数百人集まりぬ。
六郎左衛門尉の云わく「上より殺しもうすまじき副状下って、あなずるべき流人にはあらず。あやまちあるならば、重連が大いなる失なるべし。それよりは、ただ法門にてせめよかし」と云いければ、念仏者等、あるいは浄土の三部経、あるいは止観、あるいは真言等を、小法師等が頸にかけさせ、あるいはわきにはさませて、正月十六日にあつまる。佐渡国のみならず、越後・越中・出羽・奥州・信濃等の国々より集まれる法師等なれば、塚原の堂の大庭、山野に数百人、六郎左衛門尉兄弟一家、さならぬもの、百姓の入道等、かずをしらず集まりたり。
念仏者は口々に悪口をなし、真言師は面々に色を失い、天台宗ぞ勝るべきよしをののしる。在家の者どもは「聞こうる阿弥陀仏のかたきよ」とののしりさわぎひびくこと、震動・雷電のごとし。日蓮はしばらくさわがせて後、「各々しずまらせ給え。法門の御ためにこそ御渡りあるらめ。悪口等よしなし」と申せしかば、六郎左衛門を始めて諸人、「しかるべし」とて、悪口せし念仏者をばそくびをつきいだしぬ。
さて、止観・真言・念仏の法門、一々にかれが申す様をでっしあげて、承伏せさせては、ちょうとはつめつめ、一言二言にはすぎず。鎌倉の真言師・禅宗・念仏者・天台の者よりもはかなきものども
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(107)種々御振舞御書 | 建治2年(’76) | 55歳 | (光日尼) |