1236ページ
故に、弘決の八に云わく「もし衆生、生死を出でず、仏乗を慕わずと知らば、魔は、この人において、なお親の想いを生ず」等云々。釈の心は、人、善根を修すれども、念仏・真言・禅・律等の行をなして法華経を行ぜざれば、魔王、親のおもいをなして、人間につきて、その人をもてなし供養す。世間の人に実の僧と思わせんがためなり。例せば、国主のたっとむ僧をば諸人供養するがごとし。されば、国主等のかたきにするは、既に正法を行ずるにてあるなり。
釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ。今の世間を見るに、人をよくなすものは、かとうどよりも強敵が人をばよくなしけるなり。眼前に見えたり。この鎌倉の御一門の御繁昌は、義盛と隠岐法皇ましまさずんば、いかでか日本の主となり給うべき。されば、この人々はこの御一門の御ためには第一のかとうどなり。日蓮が仏にならん第一のかとうどは景信、法師には良観・道隆・道阿弥陀仏、平左衛門尉・守殿ましまさずんば、いかでか法華経の行者とはなるべきと悦ぶ。
かくてすごすほどに、庭には雪つもりて人もかよわず、堂にはあらき風より外はおとずるるものなし。眼には止観・法華をさらし、口には南無妙法蓮華経と唱え、夜は月・星に向かい奉って諸宗の違目と法華経の深義を談ずるほどに、年もかえりぬ。
いずくも人の心のはかなさは、佐渡国の持斎・念仏者の唯阿弥陀仏・性諭房・印性房・慈道房等の数百人、より合って僉議すと承る。「聞こうる阿弥陀仏の大怨敵、一切衆生の悪知識の日蓮房、この国にながされたり。なにとなくとも、この国へ流されたる人の始終いけらるることなし。たといいけらるるとも、かえることなし。また打ちころしたりとも、御とがめなし。塚原という所にただ一人あ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(107)種々御振舞御書 | 建治2年(’76) | 55歳 | (光日尼) |