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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

者、立ぶみもちてはしり来り、ひざまずいて申す。「今夜にて候べし。あらあさましやと存じて候いつるに、かかる御悦びの御ふみ来って候。『武蔵守殿は、今日卯時にあたみの御ゆへ御出で候えば、いそぎあやなきこともやと、まずこれへはしりまいりて候』と申す。かまくらより御つかいは二時にはしりて候。今夜の内にあたみの御ゆへはしりまいるべしとて、まかりいでぬ」。
 追状に云わく「この人はとがなき人なり。今しばらくありてゆるさせ給うべし。あやまちしては後悔あるべし」と云々。
 その夜は十三日、兵士ども数十人、坊の辺り、ならびに大庭になみいて候いき。九月十三日の夜なれば、月大いにはれてありしに、夜中に大庭に立ち出でて月に向かい奉って、自我偈少々よみ奉り、諸宗の勝劣、法華経の文あらあら申して、「そもそも今の月天は、法華経の御座に列なりまします名月天子ぞかし。宝塔品にして仏勅をうけ給い、嘱累品にして仏に頂をなでられまいらせ、『世尊の勅のごとく、当につぶさに奉行すべし』と誓状をたてし天ぞかし。仏前の誓いは日蓮なくば虚しくてこそおわすべけれ。今かかること出来せば、いそぎ悦びをなして法華経の行者にもかわり、仏勅をもはたして、誓言のしるしをばとげさせ給うべし。いかに、今しるしのなきは不思議に候ものかな。いかなることも国になくしては、鎌倉へもかえらんとも思わず。しるしこそなくとも、うれしがおにて澄み渡らせ給うはいかに。大集経には『日月も明を現ぜず』ととかれ、仁王経には『日月度を失う』とかかれ、最勝王経には『三十三天、各瞋恨を生ず』とこそ見え侍るに、いかに月天、いかに月天」とせめしかば、そのしるしにや、天より明星のごとくなる大星下って、前の梅の木の枝にかか