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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

 さて最後には、「日蓮、今夜頸切られて霊山浄土へまいりてあらん時は、まず『天照太神・正八幡こそ起請を用いぬかみにて候いけれ』とさしきりて、教主釈尊に申し上げ候わんずるぞ。いたしとおぼさば、いそぎいそぎ御計らいあるべし」とて、また馬にのりぬ。
 ゆいのはまにうちいでて、御りょうのまえにいたりて、また云わく「しばし、とのばら。これにつぐべき人あり」とて、中務三郎左衛門尉と申す者のもとへ熊王と申す童子をつかわしたりしかば、いそぎいでぬ。
 「今夜、頸切られへまかるなり。この数年が間願いつることこれなり。この娑婆世界にして、きじとなりし時はたかにつかまれ、ねずみとなりし時はねこにくらわれき。あるいはめこのかたきに身を失いしこと、大地微塵より多し。法華経の御ためには一度だも失うことなし。されば、日蓮、貧道の身と生まれて、父母の孝養、心にたらず。国の恩を報ずべき力なし。今度、頸を法華経に奉って、その功徳を父母に回向せん。そのあまりは弟子檀那等にはぶくべしと申せしこと、これなり」と申せしかば、左衛門尉兄弟四人、馬の口にとりつきて、こしごえたつの口にゆきぬ。
 ここにてぞあらんずらんとおもうところに、案にたがわず、兵士どもうちまわり、さわぎしかば、左衛門尉申すよう「只今なり」となく。日蓮申すよう「不かくのとのばらかな。これほどの悦びをばわらえかし。いかにやくそくをばたがえらるるぞ」と申せし時、江のしまのかたより月のごとくひかりたる物、まりのようにて、辰巳のかたより戌亥のかたへひかりわたる。十二日の夜のあけぐれ、人の面もみえざりしが、物のひかり月よのようにて、人々の面もみなみゆ。太刀取り目くらみ、たおれ