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をよみて天雨を下らせしに、いかに二百五十戒の人々百千人あつまりて、七日二七日せめさせ給うに、雨の下らざる上に大風は吹き候ぞ。これをもって存ぜさせ給え。各々の往生は叶うまじきぞ」とせめられて良観がなきしこと、人々につきて讒せしこと、一々に申せしかば、平左衛門尉等かとうどしかなえずしてつまりふししことどもは、しげければかかず。
さては十二日の夜、武蔵守殿のあずかりにて、夜半に及び頸を切らんがために鎌倉をいでしに、わかみやこうじにうちいでて、四方に兵のうちつつみてありしかども、日蓮云わく「各々さわがせ給うな。べちのことはなし。八幡大菩薩に最後に申すべきことあり」とて、馬よりさしおりて高声に申すよう、「いかに八幡大菩薩はまことの神か。和気清丸が頸を刎ねられんとせし時は、長一丈の月と顕れさせ給い、伝教大師の法華経をこうぜさせ給いし時は、むらさきの袈裟を御布施にさずけさせ給いき。今、日蓮は日本第一の法華経の行者なり。その上、身に一分のあやまちなし。日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間大城におつべきをたすけんがために申す法門なり。また、大蒙古国よりこの国をせむるならば、天照太神・正八幡とても安穏におわすべきか。その上、釈迦仏、法華経を説き給いしかば、多宝仏・十方の諸の仏菩薩あつまりて、日と日と、月と月と、星と星と、鏡と鏡とをならべたるがごとくなりし時、無量の諸天ならびに天竺・漢土・日本国等の善神・聖人あつまりたりし時、『各々、法華経の行者におろかなるまじき由の誓状まいらせよ』とせめられしかば、一々に御誓状を立てられしぞかし。さるにては、日蓮が申すまでもなし。いそぎいそぎこそ誓状の宿願をとげさせ給うべきに、いかにこの処にはおちあわせ給わぬぞ」と、たかだかと申す。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(107)種々御振舞御書 | 建治2年(’76) | 55歳 | (光日尼) |