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いわいなるかな、法華経のために身をすてんことよ。くさきこうべをはなたれば、沙に金をかえ、石に珠をあきなえるがごとし」。
さて、平左衛門尉が一の郎従・少輔房と申す者、はしりよりて、日蓮が懐中せる法華経の第五の巻を取り出だして、おもてを三度さいなみて、さんざんとうちちらす。また、九巻の法華経を兵者ども打ちちらして、あるいは足にふみ、あるいは身にまとい、あるいはいたじき・たたみ等、家の二・三間にちらさぬ所もなし。
日蓮、大高声を放って申す。「あらおもしろや、平左衛門尉がものにくるうを見よ。とのばら、但今、日本国の柱をたおす」とよばわりしかば、上下万人あわてて見えし。日蓮こそ御勘気をかぼればおくして見ゆべかりしに、さはなくして、「これはひがごとなり」とやおもいけん、兵者どものいろこそへんじて見えしか。
十日ならびに十二日の間、真言宗の失、禅宗・念仏等、良観が雨ふらさぬこと、つぶさに平左衛門尉にいいきかせてありしに、あるいはどっとわらい、あるいはいかりなんどせしことどもは、しげければしるさず。
せんずるところは、六月十八日より七月四日まで、良観が雨のいのりして、日蓮に支えられてふらしかね、あせをながしなんだのみ下らして、雨ふらざりし上、逆風ひまなくてありしこと、三度までつかいをつかわして「一丈のほりをこえぬもの、十丈二十丈のほりをこうべきか。いずみしきぶ、いろごのみの身にして、八斎戒にせいせるうたをよみて雨をふらし、能因法師が破戒の身として、うた
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(107)種々御振舞御書 | 建治2年(’76) | 55歳 | (光日尼) |