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建長寺・寿福寺・極楽寺・長楽寺・大仏寺等をやきはらえと申し、道隆上人・良観上人等を頸をはねよと申す。御評定になにとなくとも、日蓮が罪禍まぬかれがたし。ただし、上件のこと一定申すかと、召し出だしてたずねらるべし」とて、召し出だされぬ。
奉行人の云わく「上のおおせ、かくのごとし」と申せしかば、「上件のこと、一言もたがわず申す。ただし、最明寺殿・極楽寺殿を地獄ということはそらごとなり。この法門は、最明寺殿・極楽寺殿、御存生の時より申せしことなり。詮ずるところ、上件のことどもは、この国をおもいて申すことなれば、世を安穏にたもたんとおぼさば、彼の法師ばらを召し合わせてきこしめせ。さなくして、彼らにかわりて理不尽に失に行わるるほどならば、国に後悔あるべし。日蓮御勘気をかぼらば、仏の御使いを用いぬになるべし。梵天・帝釈・日月・四天の御とがめありて、遠流・死罪の後、百日・一年・三年・七年が内に、自界叛逆難とて、この御一門どしうちはじまるべし。その後は、他国侵逼難とて、四方より、ことには西方よりせめられさせ給うべし。その時、後悔あるべし」と平左衛門尉に申し付けしかども、太政入道のくるいしように、すこしもはばかることなく物にくるう。
去ぬる文永八年太歳辛未九月十二日、御勘気をかぼる。その時の御勘気のようも、常ならず法にすぎてみゆ。了行が謀反をおこし、大夫律師が世をみださんとせしをめしとられしにもこえたり。平左衛門尉、大将として、数百人の兵者にどうまろきせて、えぼうしかけして、眼をいからし声をあろうす。大体、事の心を案ずるに、太政入道の世をとりながら国をやぶらんとせしににたり。ただ事ともみえず。日蓮これを見ておもうよう、「日ごろ月ごろおもいもうけたりつることは、これなり。さ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(107)種々御振舞御書 | 建治2年(’76) | 55歳 | (光日尼) |