1223ページ
御本尊をわたし奉るならば、十羅刹定めて偏頗の法師とおぼしめされなん。また経文のごとく不信の人にわたしまいらせずば、日蓮、偏頗はなけれども、尼御前、我が身のとがをばしらせ給わずして、うらみさせ給わんずらん。この由をば委細に助阿闍梨の文にかきて候ぞ。召して尼御前の見参に入れさせ給うべく候。
御事においては、御一味なるようなれども、御信心は色あらわれて候。さどの国と申し、この国と申し、度々の御志ありて、たゆむけしきはみえさせ給わねば、御本尊はわたしまいらせて候なり。それも終にはいかんがとおそれ思うこと、薄氷をふみ、太刀に向かうがごとし。くわしくは、またまた申すべく候。
それのみならず、かまくらにも、御勘気の時、千が九百九十九人は堕ちて候人々も、いまは世間やわらぎ候かのゆえに、くゆる人々も候と申すに候えども、これはそれには似るべくもなく、いかにもふびんには思いまいらせ候えども、骨に肉をばかえぬことにて候えば、法華経に相違せさせ給い候わんことを、叶うまじき由、いつまでも申し候べく候。恐々謹言。
二月十六日 日蓮 花押
新尼御前御返事
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(105)新尼御前御返事 | 文永12年(’75)2月16日 | 54歳 | 新尼 |