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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

(105)

新尼御前御返事

 文永12年(ʼ75)2月16日 54歳 新尼

 あまのり一ふくろ、送り給び畢わんぬ。また大尼御前よりあまのり、畏り入って候。
 この所をば身延の岳と申す。駿河国は南にあたりたり。彼の国の浮島がはらの海ぎわより、この甲斐国波木井郷・身延の嶺へは、百余里に及ぶ。余の道千里よりもわずらわし。富士河と申す日本第一のはやき河、北より南へ流れたり。この河は東西は高山なり。谷深く、左右は大石にして、高き屛風を立て並べたるがごとくなり。河の水は筒の中に強兵が矢を射出だしたるがごとし。この河の左右の岸をつたい、あるいは河を渡り、ある時は河はやく石多ければ、舟破れて微塵となる。
 かかる所をすぎゆきて、身延の嶺と申す大山あり。東は天子の嶺、南は鷹取の嶺、西は七面の嶺、北は身延の嶺なり。高き屛風を四つついたてたるがごとし。峰に上ってみれば、草木森々たり。谷に下ってたずぬれば、大石連々たり。大狼の音山に充満し、猿猴のなき谷にひびき、鹿のつまをこうる音あわれしく、蟬のひびきかまびすし。春の花は夏にさき、秋の菓は冬になる。たまたま見るものは、やまがつがたき木をひろうすがた、時々とぶらう人は、昔なれし同法なり。彼の商山の四皓が世を脱れし心ち、竹林の七賢が跡を隠せし山も、かくやありけん。峰に上って、わかめやおいたると見候え