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小乗には二宗・十八宗・二十宗候えども、ただ所詮の理は無常の一理なり。法相宗は唯心有境。大乗宗、無量の宗ありとも、所詮は唯心有境とだにいわば、ただ一宗なり。三論宗は唯心無境。無量の宗ありとも、所詮、唯心無境ならば、ただ一宗なり。これは大乗の空有の一分か。華厳宗・真言宗、あがらば但中、くだらば大乗の空有なるべし。経文の説相は、なお華厳・般若にも及ばず。ただし、よき人とおぼしき人々の多く信じたるあいだ、下女を王のあいするににたり。大日経等は下女のごとし。理は但中にすぎず。論師・人師は王のごとし。人のあいするによっていぼうがあるなるべし。
上の問答等は、当時は世すえになりて、人の智浅く慢心高きゆえに、用いることはなくとも、聖人・賢人なんども出でたらん時は、子細もやあらんずらん。不便におもいまいらすれば、目安に注せり。御ひまにはならわせ給うべし。
これは大事の法門なり。こくうぞう菩薩にまいりて、つねによみ奉らせ給うべし。
日蓮 花押
聖密房にこれを遣わす。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(100)聖密房御書 | 文永後期 | 聖密房 |