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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

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聖密房御書

 文永後期 聖密房

 大日経をば、善無畏・不空・金剛智等の義に云わく「大日経の理と法華経の理とは同じことなり。ただし印と真言とが法華経は劣るなり」と立てたり。良諝和尚・広修・維蠲なんど申す人は「大日経は華厳経・法華経・涅槃経等には及ばず。ただ方等部の経なるべし」。日本の弘法大師云わく「法華経はなお華厳経等に劣れり。まして大日経には及ぶべからず」等云々。また云わく「法華経は釈迦の説、大日経は大日如来の説、教主既にことなり。また釈迦如来は大日如来の御使いとして顕教をとき給う。これは密教の初門なるべし」。あるいは云わく「法華経の肝心たる寿量品の仏は、顕教の中にしては仏なれども、密教に対すれば具縛の凡夫なり」と云々。
 日蓮勘えて云わく、大日経は新訳の経、唐の玄宗皇帝の御時、開元四年に天竺の善無畏三蔵もて来る。法華経は旧訳の経、後秦の御宇に羅什三蔵もて来る。その中間三百余年なり。法華経亘って後、百余年を経て、天台智者大師、教門には五時四教を立てて、上五百余年の学者の教相をやぶり、観門には一念三千の法門をさとりて、始めて法華経の理を得たり。
 天台大師已前の三論宗、已後の法相宗には、八界を立てて十界を論ぜず。一念三千の法門をば立つ