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癡猿が帝釈を笑うに似たり。
文永七年 日蓮 花押
義浄房・浄顕房
(098)
佐渡御勘気抄
文永8年(ʼ71)10月 50歳 清澄寺知友
九月十二日に御勘気を蒙って、今年十月十日、佐渡国へまかり候なり。
本より学文し候いしことは、仏教をきわめて仏になり、恩ある人をもたすけんと思う。仏になる道は、必ず身命をすつるほどの事ありてこそ、仏にはなり候らめとおしはからる。既に経文のごとく「悪口・罵詈」「刀杖・瓦礫」「しばしば擯出せられん」と説かれて、かかるめに値い候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり、後生もたのもしく候。死して候わば、必ず各々をもたすけたてまつるべし。
天竺に、師子尊者と申せし人は檀弥羅王に頸をはねられ、提婆菩薩は外道につきころさる。漢土に、竺の道生と申せし人は蘇山と申す所へながさる。法道三蔵は面にかなやきをやかれて、江南と申す所
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(097)善無畏三蔵抄 | 文永7年(’70) | 49歳 | 義浄房・浄顕房 |
(098)佐渡御勘気抄 | 文永8年(’71)10月 | 50歳 | 清澄寺知友 |