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へながされき。これ皆、法華経のとく、仏法のゆえなり。
日蓮は日本国の東夷東条、安房国の海辺の旃陀羅が子なり。いたずらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせんこと、あに石に金をかうるにあらずや。各々なげかせ給うべからず。道善御房にも、こう申しきかせまいらせ給うべし。領家の尼御前へも、御ふみと存じ候えども、まず、かかる身のふみなれば、なつかしやとおぼさざるらんと申しぬると、便宜あらば各々御物語り申させ給い候え。
十月 日 日蓮 花押
(099)
義浄房御書
文永10年(ʼ73)5月28日 52歳 義浄房
御法門のこと、委しく承り候い畢わんぬ。
法華経の功徳と申すは、唯仏与仏の境界、十方分身の智慧も及ぶか及ばざるかの内証なり。されば、天台大師も、妙の一字をば「妙とは、妙は不可思議に名づく」と釈し給いて候なるぞ。前々御存知のごとし。しかれども、この経において重々の修行分かれたり。天台・妙楽・伝教等ばかりしらせ給う法門なり。なかんずく伝教大師は、天台の後身にてわたらせ給えども、人の不審を晴らさんとや思
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(098)佐渡御勘気抄 | 文永8年(’71)10月 | 50歳 | 清澄寺知友 |
(099)義浄房御書 | 文永10年(’73)5月28日 | 52歳 | 義浄房 |