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善無畏三蔵抄
文永7年(ʼ70) 49歳 義浄房・浄顕房
法華経は一代聖教の肝心、八万法蔵の依りどころなり。大日経・華厳経・般若経・深密経等の諸の顕密の諸経は、震旦・月氏・竜宮・天上・十方世界の国土の諸仏の説教、恒沙塵数なり。大海を硯の水とし、三千大千世界の草木を筆としても、書き尽くしがたき経々の中をも、あるいはこれを見、あるいは計り推するに、法華経は最第一におわします。
しかるを、印度等の宗、日域の間に、仏意を窺わざる論師・人師多くして、あるいは「大日経は法華経に勝れたり」、ある人々は「法華経は大日経に劣れるのみならず、華厳経にも及ばず」、ある人々は「法華経は涅槃経・般若経・深密経等には劣る」、ある人々は「辺々あり。互いに勝劣ある故に」、ある人云わく「機に随って勝劣あり。時機に叶えば勝れ、叶わざれば劣る」、ある人云わく「有門より得道すべき機あれば、空門をそしり有門をほむ。余もこれをもって知るべし」なんど申す。
その時の人々の中にこの法門を申しやぶる人なければ、おろかなる国王等、深くこれを信ぜさせ給い、田畠等を寄進して、徒党あまたになりぬ。その義、久しく旧りぬれば、ただ「正法なんめり」と打ち思って、疑うこともなく過ぎ行くほどに、末世に彼らが論師・人師より智慧賢き人出来して、彼
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(097)善無畏三蔵抄 | 文永7年(’70) | 49歳 | 義浄房・浄顕房 |