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これ彼が親なり」とは、これなり云々。
一、本来の四弘の事
仰せに云わく、諸法の当体、本来四弘なり。その故は、衆生というは法界なり。詮ずるところ、法界に理・智・慈悲の三つを具足せり。応・報・法の三身、諸法の自体なり。無作の応身をもって衆生無辺誓願度というなり。無作の報身には智徳・断徳の二徳を備えたり。煩悩無辺誓願断をもって本有の断徳とは定めたり。法門無尽誓願知をもって本有の智徳とす。無上菩提誓願証をもって無作の法身というなり。詮ずるところ、四弘誓願の中には衆生無辺誓願度をもって肝要とするなり。今、日蓮等の類いは、南無妙法蓮華経をもって衆生を度する、これより外は所詮なきなり。「速成就仏身(速やかに仏身を成就す)」これなり云々。詮ずるところ、四弘誓願は一念三千なり。
さて、四弘の弘とは何物ぞ。いわゆる、上行所伝の南無妙法蓮華経なり。釈に云わく「四弘、能も所も泯ぶ」云々。この釈は止観に前の三教を釈せり。「能」というは如来なり、「所」とは衆生なり。能所各別するは権教の故なり。法華経の心は能所一体なり。「泯ぶ」というは、権教の心は機・法共に一同なれば、「能も所も泯ぶ」と云うなり。あえて能所一同して成仏するところを「泯ぶ」と云うにはあらざるなり。今、末法に入って、法華経の行者は四弘能所感応の即身成仏の四弘なり云々。
御講聞書 終
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(096)御講聞書 |