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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

証文に云わく「大通智勝仏 十劫坐道場(大通智勝仏は、十劫道場に坐したもう)」の文これなり。十劫は即ち十界なり云々。
一、末法に入っての四弘誓願の事
  仰せに云わく、四弘誓願をば、一文に口伝せり。その一文とは、いわゆる、神力品に云わく「於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑(我滅度して後において、応にこの経を受持すべし。この人は仏道において、決定して疑いあることなけん)」云々。この経文は、法華経の序品より始めて四弘誓願の法門を説き終わって、さて、上行菩薩に妙法蓮華経を付嘱したもう時、妙法の五字に四弘誓願を結んで結句に説かせたまえり。「滅後」とは、末法の始めの五百年なり。衆生無辺誓願度というは、「是人」の「人」の字なり。誓願は地涌の本化の上行菩薩の誓願に入らんと、これ即ち「仏道」の二字、度脱なり。煩悩無辺なれども、煩悩即菩提・生死即涅槃と体達す。仏道に入っては煩悩さらになし。「受持斯経」の所には、法門無尽誓願知、分明なり。無上菩提誓願証というは、「是人於仏道 決定無有疑」と定めたる四弘誓願分明なり。教主釈尊の末法に入っての四弘誓願もこの文なり。上行菩薩の四弘誓願もこの文なり。深くこれを思案すべし云々。
一、四弘誓願の応・報・智・理という事
  仰せに云わく、衆生無辺誓願度は応身なり、煩悩無辺誓願断は報身なり、法門無尽誓願知は智法身なり、無上菩提誓願証は理法身なり。
  詮ずるところ、誓願というは、題目弘通の誓願なり。釈に云わく「彼がために悪を除くは、即ち