1120ページ
(096)
御講聞書
弘安元年三月十九日より連々の御講、同三年五月二十八日に至るなり。よって、これを記し畢わんぬ。
日向これを記す。
およそ法華経と申すは、「一切衆生皆成仏道」の要法なり。されば、大覚世尊は「説時未至故(説時のいまだ至らざるが故に)」と説かせ給いて、説くべき時節をまたせ給いき。例せば、郭公の春をおくり鶏鳥の暁を待って鳴くがごときなり。これ則ち時を待つが故なり。されば、涅槃経に云わく「時を知るをもっての故に、大法師と名づく」と説かれたり。今、末法は、南無妙法蓮華経の七字を弘めて、利生・得益あるべき時なり。されば、この題目には余事を交えば僻事なるべし。この妙法の大曼荼羅を身に持ち、心に念じ、口に唱え奉るべき時なり。これによって、一部二十八品の頂上に「南無妙法蓮華経序品第一」と題したり。
一、「妙法蓮華経序品第一」の事
「玄師伝に云わく『一切経の総要とは、謂わく妙法蓮華経の五字なり』。また云わく『一行一切行
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(096)御講聞書 |