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にして、つねにこの三昧を修す』。云うところの『三昧』とは、即ち法華の有相・無相の二行なり。この道理をもって法華経を読誦せん行者は、即ち法具の一心三観なり」云々。
この釈に「一切経」と云うは、近くは華厳・阿含・方等・般若等なり。遠くは大通仏より已来の諸経なり。本門の意は、寿量品を除いてその外の一切経なり。「総要」とは、天には日月、地には大王、人には神・眼目のごとくなりという意をもって釈せり。これ即ち妙法蓮華経の枝葉なり。「一行」とは、妙法の一行に一切行を納めたり。「法具」とは、題目の五字に万法を具足すということなり。
しかるあいだ、三世十方の諸仏も、上行菩薩等も、大梵天王・帝釈・四王・十羅刹女、天照太神・八幡大菩薩・山王二十一社その外日本国中の小神・大神等、この経の行者を守護すべしと法華経の第五の巻に分明に説かれたり。影と身と、音と響きとのごとし。法華経二十八品は、影のごとく、響きのごとし。題目の五字は、体のごとく、音のごとくなり。題目を唱え奉る音は、十方世界にとずかずという処なし。我らが小音なれども、題目の大音に入れて唱え奉るあいだ、一大三千界にいたらざる処なし。譬えば、小音なれども貝に入れて吹く時、遠く響くがごとく、手の音はわずかなれども鼓を打つに遠く響くがごとし。一念三千の大事の法門これなり。かかるめでたき御経にてわたらせ給えるを、謗る人何ぞ無間に堕在せざらん。法然・弘法等の大悪知識これなり云々。
一、妙法
「妙法」の二字は、一切衆生の色心の二法なり。一代説教の中に「法」の字の上に「妙」の字を
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(096)御講聞書 |