1189ページ
らが有縁の仏と思い、念仏者等は、観経等を信ずる故に、阿弥陀仏を娑婆有縁の仏と思う。当世は、ことに善導・法然等が邪義を正義と思って、浄土の三部経を指南とする故に、十造る寺は八・九は阿弥陀仏を本尊とす。在家・出家、一家・十家・百家・千家にいたるまで、持仏堂の仏は阿弥陀なり。その外、木画の像、一家に千仏・万仏まします大旨は阿弥陀仏なり。しかるに、当世の智者とおぼしき人々、これを見てわざわいとは思わずして、我が意に相叶う故に、ただ称美・讃歎の心のみあり。ただ一向悪人にして、因果の道理をも弁えず一仏をも持たざる者は、還って失なきへんもありぬべし。
我らが父母たる世尊は、主師親の三徳を備えて、一切の仏に擯出せられたる我らを、「ただ我一人のみ、能く救護をなす」とはげませ給う。その恩、大海よりも深し。その恩、大地よりも厚し。その恩、虚空よりも広し。二つの眼をぬいて仏前に空の星の数備うとも、身の皮を剝いで百千万天井にはるとも、涙を閼伽の水として千万億劫仏前に花を備うとも、身の肉血を無量劫仏前に山のごとく積み大海のごとく湛うとも、この仏の一分の御恩を報じ尽くしがたし。
しかるを、当世の僻見の学者等、たとい八万法蔵を極め、十二部経を諳んじ、大小の戒品を堅く持ち給う智者なりとも、この道理に背かば悪道を免るべからずと思しめすべし。
例せば、善無畏三蔵は、真言宗の元祖、烏萇奈国の大王・仏手王の太子なり。教主釈尊は十九にして出家し給いき。この三蔵は十三にして位を捨て、月氏七十箇国、九万里を歩き回って、諸経・諸論・諸宗を習い伝え、北天竺の金粟王の塔の下にして天に仰ぎ祈請を致し給えるに、虚空の中に大日如来を中央として胎蔵界の曼荼羅顕れさせ給う。慈悲の余り、この正法を辺土に弘めんと思しめして
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(097)善無畏三蔵抄 | 文永7年(’70) | 49歳 | 義浄房・浄顕房 |