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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

煩悩を断じたれども余残あり。いかにいわんや凡夫においてをや。されば、釈迦如来の御名をば能忍と名づけて、この土に入り給うに一切衆生の誹謗をとがめずよく忍び給う故なり。これらの秘術は他仏のかけ給えるところなり。
 阿弥陀仏等の諸仏世尊、悲願をおこさせ給いて、心にははじをおぼしめして、還ってこの界にかよい、四十八願・十二大願なんどは起こさせ給うなるべし。観世音等の他土の菩薩も、またまたかくのごとし。仏には、常平等の時は、一切諸仏は差別なけれども、常差別の時は、各々に十方世界に土をしめて、有縁・無縁を分かち給う。大通智勝仏の十六王子、十方に土をしめて、一々に我が弟子を救い給う。その中に、釈迦如来は、この土に当たり給う。我ら衆生もまた生を娑婆世界に受けぬ。いかにも釈迦如来の教化をばはなるべからず。しかりといえども、人皆これを知らず。委しく尋ねあきらめば、「ただ我一人のみ、能く救護をなす」と申して、釈迦如来の御手を離るべからず。しかれば、この土の一切衆生、生死を厭い御本尊を崇めんとおぼしめさば、必ずまず釈尊を木画の像に顕して御本尊と定めさせ給いて、その後、力おわしまさば、弥陀等の他仏にも及ぶべし。
 しかるを、当世、聖行なきこの土の人々の仏をつくりかかせ給うに、まず他仏をさきとするは、その仏の御本意にも釈迦如来の御本意にも叶うべからざる上、世間の礼儀にもはずれて候。されば、優塡大王の赤栴檀いまだ他仏をばきざませ給わず、仙道王の画像も釈迦如来なり。
 しかるを、諸大乗経による人々、我が所依の経々を諸経に勝れたりと思う故に、教主釈尊をば次ざまにし給う。一切の真言師は、大日経は諸経に勝れたりと思う故に、この経に詮とする大日如来を我