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照太神・正八幡宮等は我が国の本主なり。迹化の後、神と顕れさせ給う。この神にそむく人、この国の主となるべからず。されば、天照太神をば鏡にうつし奉りて内侍所と号す。八幡大菩薩に勅使有って物申しあわさせ給いき。大覚世尊は我らが尊主なり、まず御本尊と定むべし。
二には、釈迦如来は娑婆世界の一切衆生の父母なり。まず我が父母を孝し、後に他人の父母には及ぼすべし。例せば、周の武王は父の形を木像に造って、車にのせて戦の大将と定めて天感を蒙り、殷の紂王をうつ。舜王は父の眼の盲たるをなげきて涙をながし、手をもってのごいしかば、本のごとく眼あきにけり。この仏もまたかくのごとし。我ら衆生の眼をば開仏知見とは開き給いしか。いまだ他仏は開き給わず。
三には、この仏は娑婆世界の一切衆生の本師なり。この仏は、賢劫第九・人寿百歳の時、中天竺の浄飯大王の御子、十九にして出家し、三十にして成道し、五十余年が間一代聖教を説き、八十にして御入滅、舎利を留めて一切衆生を正像末に救い給う。阿弥陀如来・薬師仏・大日等は、他土の仏にして、この世界の世尊にてはましまさず。
この娑婆世界は、十方世界の中の最下の処、譬えば、この国土の中の獄門のごとし。十方世界の中の十悪五逆・誹謗正法の重罪・逆罪の者を諸仏如来擯出し給いしを、釈迦如来、この土にあつめ給う。三悪ならびに無間大城に堕ちて、その苦をつぐのいて、人中・天上には生まれたれども、その罪の余残ありて、ややもすれば正法を謗じ智者を罵り罪つくりやすし。例せば、身子は阿羅漢なれども瞋恚のけしきあり。畢陵は見思を断ぜしかども慢心の形みゆ。難陀は婬欲を断じても女人に交わる心あり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(097)善無畏三蔵抄 | 文永7年(’70) | 49歳 | 義浄房・浄顕房 |