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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

東西の賢哲等、星のごとく列なって、雨のごとく難を下らし、風のごとくこの義を破りしかども、終に論師・人師の偏邪の義を破して、天台一宗の正義を立てにき。
 日域の桓武の御宇に、最澄と申す小僧侍りき。後には伝教大師と号し奉る。欽明已来の二百余年の諸の人師の諸宗を破りしかば、始めは諸人いかりをなせしかども、後には一同に御弟子となりにき。これらの人々の難に、「我らが元祖は四依の論師、上古の賢哲なり。汝は像末の凡夫・愚人なり」とこそ難じ侍りしか。正像末には依るべからず、実経の文に依るべきぞ。人には依るべからず、専ら道理に依るべきか。外道、仏を難じて云わく「汝は成劫の末、住劫の始めの愚人なり。我らが本師は先代の智者、二天三仙これなり」なんど申せしかども、終に九十五種の外道とこそ捨てられしか。
 日蓮、八宗を勘えたるに、法相宗・華厳宗・三論宗等は、権経に依って、あるいは実経に同じ、あるいは実経を下せり。これ論師・人師より誤りぬと見えぬ。俱舎・成実は子細ある上、律宗なんどは小乗最下の宗なり。人師より権大乗・実大乗経になれり。
 真言宗・大日経等は、いまだ華厳経等にも及ばず。いかにいわんや、涅槃・法華経等に及ぶべしや。しかるに、善無畏三蔵は、華厳・法華・大日経等の勝劣を判ずる時、理同事勝の謬釈を作りしより已来、あるいはおごりをなして「法華経は華厳経にも劣りなん。いかにいわんや真言経に及ぶべしや」、あるいは云わく「印・真言のなきことは、法華経に諍うべからず」、あるいは云わく「天台宗の祖師、多く真言宗を勝ると云い、世間の思いも真言宗勝れたるなんめりと思えり」。日蓮このことを計るに、人多く迷うことなれば、委細にかんがえたるなり。ほぼ余処に注せり。見るべし。また志あ