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なるべきなり云々。いわゆる、摩訶止観の大事の法門これなり。法華経の一代説教に勝れたるはこの故なり。一念三千とはこれなり。法華経第三に云わく「魔及魔民、皆護仏法(魔および魔民、皆仏法を護らん)」云々。
一、法華経の極理の事
仰せに云わく、迹門には二乗作仏、本門には久遠実成、これをさして極理と云うなり。ただし、これもいまだ極理にたらず。迹門にして「極理」の文は、「諸仏智慧甚深無量(諸仏の智慧は甚深無量なり)」の文これなり。その故は、この文を受けて文句の三に云わく「竪に如理の底に徹り、横に法界の辺を窮む」と釈せり。さて、本門の極理というは、「如来秘密・神通之力」の文これなり。
詮ずるところ、日蓮が意に云わく、法華経の極理とは、南無妙法蓮華経これなり。一切の功徳の法門、釈尊の因行果徳の二法、三世十方の諸仏の修因感果、法華経の文々句々の功徳を取り聚めて、この南無妙法蓮華経と成したまえり。ここをもって、釈に云わく「総じて一経を結するに、ただ四つあるのみ。その枢柄を撮って、これを授与す」云々。上行菩薩に授与したもう題目の外に、法華経の極理はこれ無きなり云々。
一、妙法蓮華経の五字の蔵の事
仰せに云わく、この意は妙法の五字の中には一念三千の宝珠あり。五字を蔵と定む。天台大師、玄義の一に判ぜり。いわゆる「この妙法蓮華経は、本地甚深の奥蔵なり」云々。法華経の第四に云わく「是法華経蔵(この法華経の蔵)」云々。妙〈華厳〉法〈阿含〉蓮〈方等〉華〈般若〉経〈涅槃〉、また云わく、
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(096)御講聞書 |