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説き顕さんとしたまいしかば、父母左右の膝に住して悩まし奉り、障礙したまいしなり。これ即ち、第六天の魔王が父母の形を現じて障礙せしなり。終に魔王に障礙せられたまわずして、摩訶止観の法門起これり。
いかにいわんや、今、日蓮が弘むる南無妙法蓮華経は、三世の諸仏の成道の師、十方薩埵の得道の師匠たり。その上、正像二千年の仏法は爾前・迹門なれば、魔王自身障礙をなさずともなるべし。今、末法の時は、所弘の法は法華経本門の事の一念三千の南無妙法蓮華経なり。能弘の導師は本化地涌の大菩薩にてましますべし。しかるあいだ、魔王自身下って障礙せずんば叶うべからざるなり。よって、自身下りたること分明なり。いわゆる道隆・良観・最明寺等これなり。しかりといえども、諸天善神等は日蓮に力を合わせたもう故に、竜の口までもかちぬ。その外の大難をも脱れたり。今は魔王もこりてや候らん。
日蓮死去の後は、残党ども軍を起こすべきか。故に、それも落居は叶うべからざるなり。その故は、第六天の魔王の眷属、日本国に四十九億九万四千八百二十八人なりしが、今は日蓮に降参したること多分なり。経に云わく「悪鬼入其身(悪鬼はその身に入る)」とは、これなり。この合戦の起こりも、詮ずるところ、南無妙法蓮華経なり。
魔王において、体の魔王、用の魔王あり。体の魔王とは、法性同共の魔王なり。妙法の法これなり。用の魔王とは、これより出生する第六天の魔王なり。用の魔王は障礙をなす。しかれども、体用同共の諸法実相の一理なり。「唯有一門(ただ一門のみ有り)」の智慧の門に入り、無明・法性は一体
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(096)御講聞書 |