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大王の膳に遇うがごとし)」云々。六の巻に云わく「我此土安穏 天人常充満 我浄土不毀(我がこの土は安穏にして、天人は常に充満せり。我が浄土は毀れず)」云々。この両品の文の意は、権教はことごとく瓦礫の旅の国なり。あやまりて本国と思い都と思わんこと、迷いの故なり。一往、四十二年住したる国なれば、衆生は皆、本国と思えり。本国はこの法華経なり。信解品に云わく「遇向本国(たまたま本国に向かいぬ)」。三・五の下種の所を指して、「本国」とも「浄土」とも「大王膳」とも云うなり。下種の心地は、即ち受持・信解の国なり云々。
一、無明の悪酒の事
仰せに云わく、無明の悪酒に酔うということは、弘法・慈覚・智証等、法然等の人々なり。無明の悪酒という証文は、勧持品に云わく「悪鬼入其身(悪鬼はその身に入る)」、これなり。悪鬼と悪酒とは同じことなり。「悪鬼」の「鬼」は第六天の魔王のことなり。悪酒は無明なり。無明即魔王、魔王即無明なり。「其身」の「身」とは、日本国の謗法の一切衆生なり。入ると吞むとは同じことなり。この悪鬼入る人は阿鼻に入る。さて、法華経の行者は「入仏知見道故(仏知見の道に入るが故に)」と見えて、仏道に入る。「得入無上道(無上道に入ることを得)」とも説けり。相構えて相構えて、無明の悪酒を恐るべきなり云々。
一、日蓮の己証の事
仰せに云わく、寿量品の南無妙法蓮華経これなり。地涌千界の出現にして、末代当世の別付嘱の妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に取り次ぎ給うべき、仏の勅使の上行菩薩なり云々。取り
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(096)御講聞書 |