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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

「聞」とは、色法なり。「信受」は、信心領納なれば心法なり。いわゆる、色心の二法に備えたる南無妙法蓮華経これなり云々。
一、「若復有人、以七宝満○其福最多(もしまた人有って、七宝をもって満てて○その福最も多し)」の事
  仰せに云わく、この経文は、七宝をもって三千大千世界に満てて四聖を供養せんは、法華経の一偈を受持し奉らんにはおとれりと説かれたり。天台大師は生・養・成・栄の四つの義をもって、法華経の功徳を釈したまえり。詮ずるところ、末法に入っては題目の五字即ちこれなり。この妙法蓮華経の五字は万法能生の父母なり。生・養・成・栄も、またまたかくのごときなり。よって、釈には「法をもって本となす」と釈せり。三世十方の諸仏は、妙法蓮華経をもって父母としたまえり。この故に、四聖を供養するよりも法華経を持つは勝れたり。七宝は世間の財宝なり。四聖は滅に帰する仏・菩薩・羅漢なり。さて、妙法の功徳は、「一得永不失(一たび得れば永く失せず)」なれば、朽ち失せざる功徳なり。この故に勝れたり云々。
一、「妙音菩薩」の事
  仰せに云わく、「妙音菩薩」とは、十界の語言音声なり。この音声ことごとく慈悲なり。菩薩とはこれなり云々。
一、「爾時無尽意菩薩(その時、無尽意菩薩)」の事
  仰せに云わく、この菩薩は空仮中の三諦なり。「意」の一字には一切の法門を摂得するなり。「意」というは、中道のことなり。「無」は、空諦なり。「尽」とは、仮諦なり。いわゆる「意」と