SOKAnetトップ

『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

ち当に悪道に堕つべし)」すべきなり。寿量品の法門、大切なるはこれなり。
  さて、この「開解」の「開」において二つあり。迹門の意は、諸法を実相の一理と会したり。さては、諸法を実相と開いて見れば、十界ことごとく妙法実相の一理なりと開くを、「開仏知見」と説けり。さて、本門の意は、十界本有と開いて始覚のきずなを解きたり。この重を「開解」と申されたり。よって、「演説」の二字は釈尊、「開解」の両字は大衆なり。この「演説」とは、寿量品の久遠のことなり。終に釈尊、寿量品を説かせたまいて、一切大衆の疑惑を破りたまえり云々。
一、「譬如良医、智慧聡達(譬えば良医の智慧聡達なるがごとし)」の事
  仰せに云わく、「良医」とは教主釈尊、「智慧」とは八万法蔵・十二部経なり。「聡達」とは、三世了達なり。「薬」とは、妙法の良薬なり。さて、寿量品の意は十界本有と談ぜり。しかれば、この薬師とは、一切衆生のことなり。「智慧」とは、万法己々の自受用報身の振る舞いなり。「聡達」とは、自在自在に振る舞うを「聡達」とは云うなり。詮ずるところ、末法当今のための寿量品なれば、法華経の行者の上のことなり。この「智慧」とは、南無妙法蓮華経なり。「聡達」とは、本有無作の三身なりということなり。元品の無明の大良薬は、南無妙法蓮華経なり。「智」とは、一切衆生の力なり。「慧」とは、一切衆生の言語音声なり。故に、偈頌に云わく「我智力如是 慧光照無量(我が智力はかくのごとし。慧光の照らすこと無量なり)」と云えり云々。
一、一念信解の事
  仰せに云わく、この経文は一念三千の宝珠を納めたる函なり。これは現在の四信の初めの一念信