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の薬と云えり。詮ずるところ、妙とは不死の薬なり。この心は、不死とは法界を指すなり。その故は、森羅三千の万法を不思議と歎じたり。生住異滅の当位当位、三世常恒なるを不死と云う。本法の徳として、水はくだりつめたく、火はのぼりあつし。これを妙と云う。これ即ち不思議なり。この重を不死とは云うなり。
「甘露」と妙とは同じことなり。しかれば、法界のままに閣いて妙法なりと説くを、本法とも甘露とも云えり。火は水にきゆる、本法にして不死なり。十界己々の当位当位の振る舞い、常住本有なるを、甘露とも、妙法とも、不思議とも、本法とも、止観とも云えり。詮ずるところ、末法に入って「甘露」とは、南無妙法蓮華経なり。「見灌」とは、受持の一行なり云々。
一、「若有悪人以不善心(もし悪人有って、不善の心をもって)」等の事
仰せに云わく、「悪人」とは、在世にては提婆・瞿伽利等なり。「不善心」とは、悪心をもって仏を罵詈し奉ることを説くなり。滅後には、「悪人」とは弘法・慈覚・智証・善導・法然等これなり。「不善心」とは、謗言なり。この謗言を書き写したる十住心論等・選択集等の謗法の書どもなり。さて、末法に入って「善人」とは、日蓮等の類いなり。「善心」とは、法華弘通の信心なり。いわゆる南無妙法蓮華経これなり云々。
一、「如是、如是(かくのごとし、かくのごとし)」の事
仰せに云わく、釈に云わく「法相の是に如し、根性の是に如するなり」。「法相の是に如す」とは、諸法実相を重ねて「如是」と説かれたり。「根性の是に如す」とは、九法界を説かれたり。しかれ
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(096)御講聞書 |