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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

の機に対して「忽」と云うなり。速疾頓成の義を、「忽」と云うなり。たとい、外用の八相を唱うることあるも、所化をして仏道に進ましめんがためなり。詮ずるところ、末法に入っては、謗法の人々は餓鬼界の衆生なり。この経に値い奉り、南無妙法蓮華経に値い奉ることは、しかしながら「大王膳」たり。
  「忽遇」の「遇」の字、肝要たり。釈に云わく「成仏の難きにはあらず。この経に値うをかたしとす」と云えり。不軽品に云わく「復遇常不軽(また常不軽に遇う)」云々。厳王品に云わく「生値仏法(生まれて仏法に値えり)」云々。「大王膳」に値いたり。最ももって、南無妙法蓮華経を信受し奉るべきなり。
  この経文のごとくならば、法華より外の一切衆生は、いかに高貴の人なりとも、餓鬼道の衆生なり。十羅刹女は餓鬼界の羅刹なれども、法華経を受持し奉るが故に、餓鬼に即する一念三千なり。法華へ来らずんば、いずれも餓鬼・飢饉の苦しみなるべし。詮ずるところ、必ず、中根の声聞、領解の言に我が身を餓鬼に類することは、餓鬼は法界に食ありといえども食することを得ざるなり。諸法実相の一味の醍醐の妙法有れども、終に開覚に能えざるあいだ、四十余年、食にうえたり云々。
  一義に云わく、序品・方便より諸法実相の甘露顕れて南無妙法蓮華経あれども、広略二重の譬説段まで悟らざれば、餓鬼の満々とある食事をくらわざるがごとし。詮ずるところ、日本国の一切衆生は餓鬼界の衆生なり。「大王膳」とは、いわゆる南無妙法蓮華経これなり。「遇」の字には人法を納めたり。よって、末に「如飢須教食(飢えて教えを須って食するがごとし)」と云えり。うえたるとも大