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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

ず、故に『一』と名づくるなり。その性広博なり。故に名づけて『切』となす。寂にして常に照なり。故に名づけて『智』となす。無住の本より一切の法を立つ。故に名づけて『地』となす。これ円教の実説なり。およそ説くところ有れば、皆衆生をしてこの『智地』に到らしむ」云々。
  この釈は「一切智地」の四字を委しく判ぜり。「一」をば究竟と云い、「切」をば広博と釈し、「智」をば「寂にして常に照なり」と云い、「地」をば「無住の本」と判ぜり。しかるに、「およそ説くところ有れば」は約教を指し、「皆衆生をして」は機縁を納むるなり。十界の衆生を指して「切」と云い、「およそ説くところ有れば」を指して「究竟して二にあらず、故に『一』と名づくるなり」と云えり。「一」とは、三千大千世界・十方法界を云うなり。その上に人畜等あるは、「地」なり。
  記の七に云わく「『切』を衆と訓ず」文。よって、「一切」の二字に法界を尽くせり。諸法は「切」なり。実相は「一」なり。詮ずるところ、法界実相の妙体、照而常寂の一理にして、十界三千、一法性にあらずということなし。これを「一」と説くなり。さて、三千の諸法の己々に本分なれば、「切」の義なり。しからば、「一」は妙、「切」は法なり。妙法の二字、「一切」の二字なり。「無住の本」は妙の徳、「一切の法を立つ」は法の徳なり。
  「一切智地」とは南無妙法蓮華経これなり。「一切智地」、即ち一念三千なり。今、末法に入って「一切智地」を弘通するは、日蓮等の類いこれなり。しかるに、「一」とは一念なり、「切」とは三千なり。一心より松よ桜よと起こるは、「切」なり。これは心法に約する義なり。色法にては、手