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一、「乗此宝乗 直至道場(この宝乗に乗じて、直ちに道場に至る)」の事
仰せに云わく、この経文は我ら衆生の煩悩即菩提・生死即涅槃を明かせり。その故は、文句の五に云わく「この因易わることなきが故に、『直至』と云う」。この釈の心は、爾前の心は煩悩を捨てて生死を厭いて別に菩提・涅槃を求めたり、法華経の意は煩悩即菩提・生死即涅槃と云えり。「直」と「即」とは同じことなり。詮ずるところ、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は即ち寂光土なりと心得べきなり。しかれば、この宝乗に乗じてたちまちに妙覚極果の位に至るを、「直至道場」とは云うなり。「直至」という文の意は、四十二位をここにて極めたり。この「直」の一字は、地獄即寂光・餓鬼即寂光土なり。法華経の行者の住処は、山谷曠野なりとも、「直至道場」なり。「道場」とは、究竟の寂光なり。
よって、「乗此宝乗」の上の「乗」は法華の行者、この品の意にては中根の四大声聞なり。総じては一切衆生のことなり。今、末法に入っては、日蓮等の類いなり。「宝乗」の「乗」の字は、大白牛車の妙法蓮華経なり。しかれば、上の「乗」は能乗、下の「乗」は所乗なり。「宝乗」は蓮華なり。釈迦・多宝等の諸仏も、この「宝乗」に乗じ給えり。これを提婆品に重ねて説く時、「若在仏前、蓮華化生(もし仏前に在らば、蓮華に化生せん)」と云えり。釈迦・多宝の二仏は、我らが己心なり。この己心の法華経に値い奉って成仏するを顕さんとして、釈迦・多宝の二仏並座して、「乗此宝乗 直至道場」を顕し給えり。
この「乗」とは車なり。車は蓮華なり。この蓮華の上の妙法は、我らが生死の二法、二仏なり。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(096)御講聞書 |