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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

無し。法財・万徳、ことごとく皆つぶさに満ぜり。十力雄猛にして、魔を降し、外を制す。一心の三智、通達せずということなし。早く正覚を成じて久遠なること、かくのごとし。三業は智に随って、運動して失無し。仏の威儀を具えて、心の大いなること海のごとし。十方の種覚、共に称誉するところなり。七種の方便しかも来って依止す。これを、出世の仏・大長者と名づく。三に観心とは、観心の智は実相より出ず。生じて仏家にあり。種性真正なり。三惑起こらず。いまだ真を発さずといえども、これ如来の衣を著れば寂滅忍と称す。三諦に一切の功徳を含蔵す。正観の慧もて愛見を降伏す。中道双べ照らして、権実ならびに明らかなり。久しく善根を積んで、能くこの観を修す。この観は、七方便の上に出でたり。この観は心性を観ずれば上定と名づく。則ち三業過無し。縁に歴て境に対するに威儀失無し。能くかくのごとく観ぜば、これ深信解の相なり。諸仏は皆歓喜して持法の者を歎美したもう。天竜・四部は恭敬・供養す。下の文に云わく『仏子住是地 即是仏受用 経行及坐臥(仏子この地に住せば、即ちこれをば仏は受用したもう。経行しおよび坐臥したまわん)』。既にこの人を称して仏となす。あに観心の長者と名づけざらんや」。
  この釈、分明に観心の長者に十徳を具足すと釈せり。いわゆる引証の文に、分別功徳品の「即是仏受用」の文を引けり。経文には「仏子住此地」とあり。「此」の字を「是」の字にうつせり。「経行若坐臥」の「若」を「及」の字にかえたり。また法師品の文を引けり。詮ずるところ、「仏子」とは法華経の行者なり。「此地」とは実相の大地なり。「経行若坐臥」とは、法華経の行者の四威儀の所作の振る舞い、ことごとく仏の振る舞いなり。我ら衆生の振る舞いの当体、仏のふるまいな