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ずや。詮ずるところ、彼の乞眼の婆羅門、眼を乞いしは、身子が菩薩の行を退転せしめんがために、これを乞いてふみにじりて捨てたり。全く菩薩の供養の方を本として眼をば乞わざりしなり。ただ退転せしめんがためなり。身子は、一念に菩薩の行を立てて、かかることに値えり。「向後は菩薩の行をば立つべからず。二乗の行を立つべし」と云って後悔せし、その故に、成仏の日、三乗の法を説くなり。詮ずるところ、乞眼の婆羅門の責めを堪えざるが故なり。法華経の行者、三類の強敵を堪忍して、妙法の信心を捨つべからざるなり。信心をもって眼とせり云々。
一、「有大長者(大長者有り)」の事
仰せに云わく、この長者において、天台大師、三つの長者を釈し給えり。一には世間の長者、二には出世の長者、三には観心の長者これなり。この中に出世・観心の長者をもって、この品の長者とせり。長者とは釈迦如来のことなり。観心の長者の時は一切衆生なり。詮ずるところ、法華経の行者は男女共に長者なり。文句の五に委しく釈せり。末法当今の長者と申すは、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり。
されば、三つの長者を釈する時、文句の五に云わく「二に位号を標するに、三つとなす。一には世間の長者、二には出世の長者、三には観心の長者なり。世に十徳を備う。一には姓貴し。二には位高し。三には大いに富む。四には威猛し。五には智深し。六には年耆ゆ。七には行浄し。八には礼備う。九には上歎ず。十には下帰す」云々。
また云わく「出世の長者は、仏は三世の真如実際の中より生ず。功成り、道著れて、十号極まり
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(096)御講聞書 |