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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

同聞衆の人数たり云々。
一、浄飯王・摩耶夫人の成仏の証文の事
  仰せに云わく、方便品に云わく「我始坐道場 観樹亦経行(我は始め道場に坐し、樹を観じまた経行す)」の文これなり。また寿量品に云わく「然我実成仏已来(しかるに、我は実に成仏してより已来)」の文これなり。教主釈尊の成道の時、浄飯も摩耶も得道するなり。本迹二門の得道の文これなり云々。この文、日蓮が己心の大事なり。「我始」と「我実」との文、能く能くこれを案ずべし。その故は、爾前経の心は父子各別の談道なり。しかるあいだ、成仏これ無し。今の経の時、父子の天性を定め、父子一体と談ぜり。父母の成仏は、即ち子の成仏なり。子の成仏は、即ち父母の成仏なり。釈尊の「我始坐道場」の時、浄飯王・摩耶夫人も同時に成道なり。釈尊の「我実成仏」の時、浄飯王・摩耶夫人同時なり。始・本共に同時の成道なり。
  この法門は、天台・伝教等を除いて、知る人一人もこれ有るべからず。末法に入って日蓮等の類い、堅く秘すべき法門なり。譬えば、蓮華の華菓の相離れざるがごとくなり。しかれば、法華経の行者は男女ことごとく世尊にあらずや。薬王品に云わく「於一切衆生中、亦為第一(一切衆生の中において、またこれ第一なり)」文。これ即ち世尊の経文にあらずや。「是真仏子(これ真の仏子)」なれば、法王の御子にして世尊第一にあらずや。
一、「方便品」の事
  妙法蓮華経の五字とは、名・体・宗・用・教の五重玄義なり。されば、止観に十章を釈せり。この