SOKAnetトップ

『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

九千三百八十四字の字ごとに「大多勝」なり。人法一体にして、即身成仏なり。
  されば、釈に云わく「『大』はこれ空の義、『多』はこれ仮の義、『勝』はこれ中の義なり」。一人の上にも「大多勝」の三義、分明に具足す。「大」とは迹門、「多」とは本門、「勝」とは題目なり。法華経の本尊は、「大多勝」の大曼荼羅なり。これあに「与大比丘衆」にあらずや。二界八番の雑衆、ことごとく法華の会座の大曼荼羅なり。法華経の行者は、二法の情を捨ててただ妙法と信ずるを、「大」というなり。この題目の一心に一切心を含容するを、「多」と云うなり。諸経・諸人に勝れたるが故に、「勝」と云うなり。一切心に法界を尽くす。一心とは、法華経の信心なり。信心即ち一念三千なり云々。
一、「爾時世尊(その時、世尊は)」の事
  仰せに云わく、「世尊」とは、釈迦如来なり。詮ずるところ、世尊とは、孝養の人を云うなり。その故は、不孝の人をば世尊とは云わず。教主釈尊こそ世尊の本にては御坐しまし候え。父浄飯王・母摩耶夫人を成道せしめ給えり。されば、今経の座には父母御坐しまさざれば、方便土へ法華経をば送らせ給いたり。「彼の土に聞くことを得ん」とは、これなり。ただし、法華経の心は「十方仏土中 唯有一乗法(十方の仏土の中には、ただ一乗の法のみ有り)」なり。忉利天には母摩耶夫人生じ給えり。忉利天に即したる寂光土なり。方便土に即したる寂光土なり。「四土は一念にして皆常寂光なり」なれば、いずれも法華経の説処なり。虚空会の時の「説法華(法華を説きたもう)」に、あに忉利天もるべきや。寂光土の「説法華」に、あに方便土もるべきや。いずれも法華経の説処なれば、