1127ページ
一、「耆闍崛山」の事
仰せに云わく、「耆闍崛山」とは、「霊鷲山」なり。「霊」とは、三世の諸仏の心法なり。必ずこの山に仏法を留め給う。「鷲」とは、鳥なり。この山の南に当たって尸陀林という林あり。死人を捨つる所なり。鷲、この屍を取り食らって、この山に住むなり。さて「霊鷲山」とは云うなり。
詮ずるところ、今の経の心は迷悟一体と談ず。「霊」というは、法華経なり。三世の諸仏の心法にして悟りなり。「鷲」というは、畜生にして迷いなり。迷悟不二と開く中道即法性の山なり。「耆闍崛山中(耆闍崛山の中)」というは、迷悟不二、三諦一諦、中道第一義空の内証なり。されば、法華経を行ずる日蓮が弟子檀那等の住所は、いかなる山野なりとも、「霊鷲山」なり。行者、あに「釈迦如来」にあらずや。日本国は「耆闍崛山」、日蓮等の類いは「釈迦如来」なるべし。総じて、一乗南無妙法蓮華経を修行せん所は、いかなる所なりとも、常寂光の都「霊鷲山」なるべし。
この「耆闍崛山中」とは、煩悩の山なり。仏菩薩等は、菩提の果なり。煩悩の山の中にして、法華経を三世の諸仏説き給えり。諸仏は法性の依地、衆生は無明の依地なり。この山を寿量品にしては本有の霊山と説かれたり。本有の霊山とは、この娑婆世界なり。中にも日本国なり。法華経の本国土妙は、娑婆世界なり。本門寿量品の未曽有の大曼荼羅建立の在所なり云々。瑜伽論に云わく「東方に小国有り。その中に、ただ大乗の種姓のみ有り」。「大乗の種姓」とは、法華経なり。法華経を下種として成仏すべしということなり。いわゆる南無妙法蓮華経なり。「小国」とは日本国なり云々。
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
---|---|---|---|
(096)御講聞書 |