SOKAnetトップ

『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

一、「如是」の二字
  「如是」の二字を約教の下に釈する時、文句の一に云わく「また一時に四つの箭を接って地に堕ちしめざるも、いまだあえて捷しと称せず。鈍驢に策うち、跛鼈を駆るも、なおし一つをも得ず。いかにいわんや四つをや」云々。記の一に云わく「大経に云わく、迦葉菩薩問うて云わく『いかんが智者は念々の滅を観ず』。仏言わく『譬えば、四人皆射術を善くす。一処に聚まって、各一方を射るに念言すらく、我らの四つの箭はともに射ればともに堕ちんと。また人有って念ずらく、そのいまだ堕ちざるに及んで、我能く一時に手をもって接取せんというがごとし』。仏言わく『捷疾鬼は、またこの人よりも速し。かくのごとく飛行鬼・四天王・日月神・堅疾天は展転して箭よりも疾し。無常はこれに過ぎたり』と」。
  この本末の意は、他師この経の「如是」について釈を設くといえども、さらに法華経の理に深く叶わざるなり。一・二だにも義理を尽くさざるなり。いわんや因縁をや。いかにいわんや約教・観心の四つをやと破し給えり。
  詮ずるところ、法華経は速疾頓成をもって本とす。我ら衆生の無常のはやきことは捷疾鬼よりもはやし。ここをもって、出ずる息は入る息を待たず。
  この経の「如是」は爾前の諸経の「如是」に勝れて超八の如是なり。超八醍醐の如是とは、速疾頓成の故なり。ここをもって、妙楽大師云わく「もし超八の如是にあらずんば、いずくんぞこの経の所聞となさん」云々。