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一、分別品
御義口伝に云わく、この品は上の品の時、本地の無作の三身如来の寿を聞くが故に、今品にして上の無作の三身を信解するなり。その功徳を分別するなり。功徳とは、十界己々の当体の三毒の煩悩を、この品の時、そのまま妙法の功徳なりと分別するなり。その功徳とは、本有の南無妙法蓮華経これなり云々。
一、随喜品
御義口伝に云わく、妙法の功徳を随喜することを説くなり。「五十展転」とは、「五」とは妙法の五字なり、「十」とは十界の衆生なり、「展転」とは一念三千なり。教相の時は「第五十人」の随喜の功徳を校量せり。五十人とは、一切衆生のことなり。妙法の五十人、妙法蓮華経を展転するが故なり。いわゆる、南無妙法蓮華経を展転するなり云々。
一、法師功徳品
御義口伝に云わく、無作の三身も、如来の寿も、分別功徳も、随喜も、我が身の上のことなり。しかれば、父母所生の六根は清浄にして自在無礙なり。妙法の六根なれば、十界三千の六根は皆清浄なり。蓮華の具うるところの六根なれば、全く不浄にあらざるなり。この六根にて南無妙法蓮華経と見聞覚知する時は、本来本有の六根清浄なり云々。
一、不軽品
御義口伝に云わく、この菩薩の礼拝の行とは、一切衆生のことなり。自他一念の礼拝なり。父母
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |