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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

無明の上慢の四衆を拝するは、衆生に薀在する仏性を礼拝するなり云々。
第二十三 無明は礼拝の住所の事
  御義口伝に云わく、自他の隔意を立てて、彼は上慢の四衆、我は不軽と云い、不軽は善人、上慢は悪人と善悪を立つるは、無明なり。ここに立って礼拝の行を成す時、善悪不二・邪正一如の南無妙法蓮華経と礼拝するなり云々。
第二十四 蓮華の二字は礼拝の住所の事
  御義口伝に云わく、蓮華とは因果の二法なり。悪因あれば悪果を感じ、善因あれば善果を感ず。内証には汝等三因仏性の善因あり、事に顕す時は善果と成って「皆当作仏(皆当に作仏すべし)」すべしと礼拝したもうなり云々。
第二十五 実報土は礼拝の住所の事
  御義口伝に云わく、実報土は竪の時は菩薩の住所なり。
  よって、不軽菩薩の住所を実報土と定めて、ここにて礼拝の行を立てたもうあいだ、実報土は礼拝の住所なり云々。
第二十六 慈悲の二字は礼拝の住所の事
  御義口伝に云わく、不軽礼拝の行は「皆当作仏(皆当に作仏すべし)」と教うるが故に慈悲なり。既に杖木・瓦石をもって打擲すれども、「而強毒之(しかも強いてこれを毒す)」するは、慈悲より起これり。「仏心とは、大慈悲心これなり」と説かれたれば、礼拝の住所は慈悲なり云々。