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『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

を礼拝の住所と云うなり。これは「内に不軽の解を懐く」と釈せり。「解とは、正因仏性を具足す」と釈するなり。「開仏知見(仏知見を開く)」とは、この仏性を開かしめんとて、仏は出現したもうなり。
第十九 「毎自作是念(つねに自らこの念を作す)」の文は礼拝の住所の事
  御義口伝に云わく、「毎」の字は、三世なり。「念」とは、一切衆生の仏性を念じたまいしなり。よって「速成就仏身(速やかに仏身を成就す)」と「皆当作仏(皆当に作仏すべし)」とは同じきことなり。よって、この一文を相伝せり。天台大師は「開三顕一・開近顕遠」と釈せり。秘すべし、秘すべし云々。
第二十 「我本行菩薩道(我は本菩薩の道を行ず)」の文は礼拝の住所の事
  御義口伝に云わく、「我」とは、本因妙の時を指すなり。「本行菩薩道」の文は、不軽菩薩なり。これを礼拝の住所と指すなり。
第二十一 生老病死は礼拝の住所の事
  御義口伝に云わく、一切衆生、生老病死を厭離せず、無常遷滅の当体に迷うによって、後世の菩提を覚知せざるなり。これを示す時、煩悩即菩提・生死即涅槃と教うる当体を礼拝と云うなり。左右の両の手を開く時は、煩悩・生死・上慢・不軽、各別なり。礼拝する時、両の手を合するは、煩悩即菩提・生死即涅槃なり。上慢の四衆の具うるところの仏性も、不軽の具うるところの仏性も、一種の妙法なりと礼拝するなり云々。
第二十二 法性は礼拝の住所の事
  御義口伝に云わく、不軽菩薩、法性真如の三因仏性たる南無妙法蓮華経の二十四字に足立って、