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べし。既に、「是故」とおさえて、「於如来滅後」と説かれたり。流通の品なるが故なり。総じては、流通とは未来当今のためなり。法華経一部は、一往は在世のためなり、再往は末法当今のためなり。その故は、妙法蓮華経の五字は、三世の諸仏共に許して未来滅後の者のためなり。品々の法門は題目の用なり。体の妙法、末法の用たらば、何ぞ用の品々別ならんや。この法門、秘すべし、秘すべし。天台の「綱維を提ぐに目として動かざることなきがごとし」等と釈するはこの意なり。妙楽大師は「略して経題を挙ぐるに、玄に一部を収む」と。これらを心得ざる者は、末法の弘通に足らざる者なり。
第十六 この品の時の不軽菩薩の体の事
御義口伝に云わく、「不軽菩薩」とは十界の衆生なり。三世常住の礼拝の行を立つるなり。吐くところの語言は妙法の音声なり。獄卒が杖を取って罪人を呵責するは体の礼拝なり、「不敢軽慢(あえて軽慢せず)」なり。罪人、我を責め成すと思えば、不軽菩薩を呵責するなり。折伏の行これなり。
第十七 不軽菩薩の礼拝の住所の事 これについて、十四箇所の礼拝の住所の事これ有り
御義口伝に云わく、礼拝の住所とは、多宝塔中の礼拝なり。その故は、塔婆とは五大の成ずるところなり、五大とは地・水・火・風・空なり、これを多宝の塔とも云うなり。法界広しといえども、この五大には過ぎざるなり。故に、塔中の礼拝と相伝するなり。秘すべし、秘すべし云々。
第十八 開・示・悟・入は礼拝の住所の事
御義口伝に云わく、開・示・悟・入の四仏知見を住所とするなり。しかるあいだ、方便品のこの文
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |