SOKAnetトップ

『日蓮大聖人御書全集 新版』全文検索

第四 「凡有所見(およそ見るところ有る)」の事
  御義口伝に云わく、今、日本国の一切衆生を法華経の題目の機なりと知見するなり云々。
第五 「我深敬汝等、不敢軽慢。所以者何、汝等皆行菩薩道、当得作仏(我は深く汝等を敬い、あえて軽慢せず。所以はいかん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり)」の事
  御義口伝に云わく、この二十四字と妙法の五字は替われども、その意はこれ同じ。二十四字は略法華経なり。
第六 「但行礼拝(ただ礼拝を行ずるのみ)」の事
  御義口伝に云わく、「礼拝」とは、合掌なり。「合掌」とは、法華経なり。これ即ち一念三千なり。故に「不専読誦経典、但行礼拝(専らに経典を読誦せずして、ただ礼拝を行ずるのみ)」と云うなり。
第七 「乃至遠見(乃至遠く見る)」の事
  御義口伝に云わく、上の「凡有所見(およそ見るところ有る)」の「見」は、内証に具するところの仏性を見るなり。これは理なり。「遠見」の「見」は、四衆と云うあいだ、事なり。よって、上は心法を見る、今は色法を見る。色法は本門の開悟、四一開会なり。心法を見るは迹門の意、また四一開会なり。「遠」の一字は、寿量品の久遠なり。故に「故往礼拝(故に往って礼拝す)」と云えり云々。
第八 「心不浄者(心不浄なる者)」の事
  御義口伝に云わく、謗法の者は色心二法共に不浄なり。まず心法不浄の文は、今この「心不浄者」なり。また身不浄の文は、譬喩品に「身常臭処 垢穢不浄(身は常に臭処にして、垢穢不浄なり)」と