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経なり。「此大乗経典、諸仏眼目(この大乗経典は、諸仏の眼目なり)」と。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は眼の功徳を得るなり云々。耳・鼻・舌・身・意、またまたかくのごときなり云々。
第三 「又如浄明鏡(また浄明なる鏡のごとし)」の事
御義口伝に云わく、法華経に鏡の譬えを説くこと、この明文なり。六根清浄の人は「瑠璃」「明鏡」のごとく三千世界を見るという経文なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、明鏡に万像を浮かぶるがごとく知見するなり。この明鏡とは、法華経なり。別しては宝塔品なり。または我が一心の明鏡なり。詮ずるところ、瑠璃と明鏡との二つの譬えを説かれたり。身根清浄の下なり。色心不二なれば、いずれも清浄の徳分なり。「浄」とは、不浄に対して浄と云うなり。「明」とは、無明に対して明と説くなり。「鏡」とは、一心なり。「浄」は仮諦、「明」は空諦、「鏡」は中道なり。「悉見諸色像(ことごとく諸の色像を見る)」の「悉」は、十界なり。詮ずるところ、「浄明鏡」とは、色心の二法、妙法蓮華経の体なり。「浄明鏡」とは、信心なり云々。
また三千大千世界を知見するとは、三世間のことなり。
第四 「是人持此経 安住希有地(この人はこの経を持ち、希有の地に安住す)」の事
御義口伝に云わく、「是人」とは、日本国の一切衆生の中には法華の行者なり。「希有地」とは、寿量品の事・理の顕本を指すなり。これをまた分別品には「仏説希有法(仏は希有の法を説きたもう)」と説かれたり。別しては南無妙法蓮華経なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の「希有地」とは、末法弘通の明鏡たる本尊なり。総じては、この品の六根清浄の功徳は、十信・
題号 | 執筆年月日 | 聖寿 | 対告衆 |
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(095)御義口伝 |